10/6(土) 東京女子体育大学国立FC2001

reported by 楠本

東京都女子サッカーリーグ1部リーグの後期がスタートした。まだ第2節だが前節からの3ヶ月間で如何に成長してきたかを確認する意味でも楽しみな一戦となった。
スタッフとしては合宿も挟んだ3ヶ月間の成長を楽しみにしている部分は強かったが、選手達はこちらのそれとは大きく異なり試合前から集中力の薄い姿勢が見受けられた。現在、選手達は諸々の葛藤の中で戦っているのだと思うが、このゲームにおける意識やゲームを行う意味などは理解できていなかったように思う。スフィーダの攻撃陣は6名中4名が中学生であるが、中学生のモチベーションをコントロールするのは簡単ではないし、通常のパフォーマンスを発揮するようにコントロールするのも簡単なことではない。スフィーダのサッカーはピッチに立つ全員が機能しなければ一気に脆さを見せてしまう言わば諸刃の剣のようなものである為、そうした選手個々の意識が結果を左右する事になるのは言うまでもない。一人ひとりに自由という役割が課され、その自由の中で自分の役割を遂行する。だれが・・・というような人任せのサッカーではない。それ故にゲーム前の準備やゲームへの入り方には大きな問題があったのは事実である。試合前の不安要素と言えば直前の怪我によるセンターバック2人の離脱だと考えていたが、それは大きな問題にはならなかった。一番の問題は選手を導けなかった自分、そして、選手達のモチベーションの低さに尽きると思う。
そのような状況の中で行われたゲームであるが、グラウンド状態が思わしくないのもスフィーダのサッカーを表現するには敵となる。凸凹の芝(雑草)と中央の完全に剥げた土が入り混じる状態であったが、これに慣れるのにも時間がかかったと言えるだろう。前半開始9分にクリアーミスをそのまま拾われ先制点を許す事になったが、その後は徐々にペースを掴んでいく。前半こそ集中力の欠ける戦いとなったが、後半からはハーフタイムでのミーティングも含め、ようやく選手達が目を覚ましてくれた。高いポゼッション率でボールを失わず、失ってもすぐに奪い返すという相手を完全に制圧する事の出来る内容であったと思う。相手のGKが高いレベルにあったため前半から尽くシュートストップされ、なかなか得点までには至らなかったが得点の期待感は十二分に感じられた。選手達は適切な位置へサポートに入り、動きのある魅力あるサッカーが出来たが、それでもGKが優れていた事や0-1という現実から相手の集中力は切れず、幾度となく相手のDFラインを崩してはいるものの最終局面で身体を張られ得点までには至らなかった。シュート数も24対4ということからも、どれだけ怒涛の攻撃を仕掛けていたかははっきりと分かる。数だけ見れば6倍のシュートを放っている。有効なシュート(得点できても不思議ではないシュート)も多かった。しかし、サッカーには判定勝ちというものはない。もっと言えば、どんなに攻めていようが、どんなにチャンスを作ろうが、どんなにシュートを打とうが、それで結果が決まらない事が奥深い。相手の戦術を越えたサッカーは出来ていたと思うが、シュートが決まったのはこちらの24本目のシュートであり最終的に出た結果は1-1。相手は1本目のシュートで得点し、スフィーダは最後のシュートで得点した。何とも説明し難い結果・内容であったと思う。
このゲームにおいてスフィーダの見せた前半の顔と後半の顔はまるで別人であったと表現できる。ゲームでの集中力、そして、それを基盤とした一人ひとりに与えられる自由が如何に重要なのかは誰の目にも明らかであった。そもそも自由とは何か?スフィーダの与える自由とは自主性や個々の判断、行動力を差す。それだけに特定の攻撃パターンやポジション間における決まりごとはない。常に選手達が判断し、選手達が選択するものが全て正しい。それがスフィーダのサッカーである。だからこそ、選手達は時折アッと驚くような連携を見せてくれる。こちらの想像を超える瞬間が垣間見れた時が一番の喜びだ。そうした瞬間を多く作り出すには他の何ものでもなく、選手達個々の集中力が全てのベースとなる。常に集中し、常に100%を出すというのは難しいことであるが、それでも常に120%を出し続けなければいけないと思う。それが今回のゲームで一番はっきりとした事である。また、チームの今年に入ってからの目覚しい急成長を考えれば、もはや相手云々という考え方ではない。どれだけ自分達と向き合えるかが一番のポイントとなる。1週間後には第3節FC駒沢女子戦、月末には第4節FC PAF戦と簡単には行かない試合が続く事になるが、今回の反省点を踏まえ、また、合宿以降の成長を前後半通じて感じられるようなサッカーを表現したいと思う。残りの試合は全て勝つつもりで戦いたい。

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